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総一郎に手向けた嘘…『デスノート』第10話

親子劇として見るデスノート、ここに極まる─。

ドラマ『デスノート』第10話です。いや正直、すごかった。
ドラマ版は序盤から、この親子関係に焦点を当てて描かれてきましたけど、ここに至ってこんな帰結を見るとは思いませんでした。
完全に原作漫画とも映画とも違う、“ドラマ『デスノート』”が完成した瞬間だった。

「息子がキラだった」という事実を受け止める父・夜神総一郎
その姿自体は映画でも描かれているんですけど、あれはあくまでLの推理が主導でしたからね。
対してドラマでは、ライトの言動から徐々に疑わざるを得なくなり、覚悟を決め、そして自ら問いただす。
地下駐車場、2人のシーンは見事でした。

覚悟と凄絶と怒りと…総一郎の言葉は1つ1つ重かったのですが。
そのなかにあって、ただただ無念だという感情がシンプルに伝わってきたのですが…
「いつからそんな平気な顔で嘘がつけるようなったんだ?」
この言葉を遺し、総一郎は自らデスノートに名前を書き逝ってしまいました。

そして、その死の顛末すら平然と「嘘」で繕うライト。
父の言葉に感化されるどころか、ますます悪に堕ちきってしまうサマも素晴らしい。
もう「普通の大学生」の面影はありません。


実は…。総一郎が、名前を書いた瞬間は死なないのではないか…と思っていました。
オープニングはいつも、その週にキーポイントになるルールが読み上げられるのですが、それが映画版でも使われた先に名前を書いてしまい、あとで書かれても効力を無効化するトリックも想起させる内容で。
だから、事前に総一郎、23日後に事故死と魅上らに書かせていれば、あの場では総一郎は死なず、“ノートは偽物”で押し通すことが出来た。
言い換えれば、映画と同じトリックが今度は潔白証明として機能すれば新鮮だなあ、と。
(まあ、それやっちゃうと最大の禁じ手である「親殺し」になっちゃいますから冷静に考えれば無い話か)


ってことで本当なら、今回は「やっぱりメロは似合わないよ」とくどくど言うつもりだったのですが、完全に前半のそういうネガティブ要素はフッ飛んじゃいましたね(^-^;;
でも少しだけ。
やはりニアとメロの二重人格じゃなくて、メロ役の人も別に立てておいて欲しかったな、と改めて。
ワイミーズハウスの頃にニアといつも一緒にいる男の子誰だろう…ぐらいに留めておいて、今回久しぶりの登場「あいつかー!」みたいな感じで。
そして日村章子(関めぐみ)はメロと結託していたんですね。彼女も、本名が「ハル・リドナー」*1とか自殺の顛末が「南空ナオミ」を連想させたり、色々と原作設定を1人で背負うキャラになりましたね…笑。


始まった頃には考えもしなかった、怒濤の展開を見せている『デスノート』。
次回、いよいよ最終回です。
悪が暴走するライトを止められるのは…そしてニアの自我は戻るのか…。
なにげに今回、父の疑念のなかで「13日の偽ルール」が無かったことになってるので、せめてニアにはそこも踏まえて追及して欲しい。

*1:原作漫画ではニア陣営の女性捜査官の名前。