DEATH NOTE “finis”
無様。
この一言に尽きます。
ああ、こんな月(ライト)見たくなかったよ…!と思う反面で、見事に描ききってくれたと思います。
というわけで、『デスノート』最終12巻。
「く、ふふ、ふふふ、ふはははははははは」「そうだ、僕がキラだ」
「し…死ぬのか!? 僕は死ぬのか!!」
「…い、や…やだ、死にたくない」「いやだ死にたくない死にたくない死にたくない」
「 」
とにかくライトの凋落っぷりが凄まじい。けど、やっぱりこうでなければウソだよね。追及されて負けを認め、そして潔く自害するとかそういうのはナシだと思っていたので、無様でも悲壮でも滑稽でも、今まで散々使ってきた“心臓麻痺”に恐れおののき狼狽し、死を迎える。この結末で良かったのだと思います。ここに来て、松田の行動も格好良った!
そんな最期へと至る、倉庫での最後の戦い―。
例のごとく【ニアが勝ち、ライトは死亡する】というネタバレだけは知っていたのですが、知っていたが故に、その展開は圧巻で、有無を言わさず目を見張り、1ページ1ページが重かったです。特に、魅上が倉庫の中を覗き見て、皆の名前を確認した瞬間…!あのノートは本物だろうと前巻からそれとなく予想していたので(id:Rarutan:20060506)、「ええッ!ニア、ここからどう逆転するんだよ?」と混乱し、それと同時に面白さもノンストップのまま結末まで至りました。
正直な所、ニアが魅上の本物ノートに接触した方法が「銀行の貸金庫」っていうのは、それは無いだろ!という気もしましたが(金庫みたいにどこかに預けるよりも、セキュリティ完璧な自宅に隠しているものだとばかり思っていた…)、でも、そんなことどうでもいい! ライトをねじ伏せていく描写が良く、メロの死が不憫ではあるものの、「二人ならLに並べる、二人ならLを超せる」というニアのセリフは、安易ながら見事でした。
でも、ごめんなさい、ひとつ納得いかないのが―。ライトがニアの名前を腕時計ノートに書こうとた際、何故ニアの名前が「Nate River」だと分かったんでしょうか…。魅上が書いて見せた4人のSPKの名前の中から、どれがニアの名前かなんて知り得ないはずです。ニア→N→Nがイニシャル、ていうことなのかな。どちらにしろ、メロだからニアだからイニシャルがMとNって、個人的には安直に感じてしまいます…。「HOW TO READ 13」で明かされる“L”も同様なんだろうなあ、と思うと、ちょっと興冷めかも…。
そして、いよいよ「完」。
キラが居なくなって一年、世界は再び、キラが居なかった頃へと戻りつつあった。
しかし、キラの存在を尊んでいた人々は彷徨い、そして救いのない祈りを捧げる。そこではまさしく夜神月は「神」だったのかもしれない―。
結局、キラが正しいのかニアが正しいのか、そんなことは分かりません―。
物語の始まりとして、そして締めとして、「何が正義か」という精神論が語られましたが、基本的に『デスノート』というのはそういった社会的なテーマにはお構いなしな作品…。「人殺しノート」をただ、頭脳戦の道具としてしか描かず、ひたすらに「意外性」ある展開だけを追及していました。ある意味、この徹底ぶりが面白さだったのだと思います。
映画化され、アニメ化され、こんな絶好調の時期に幕を締めた『デスノート』。この潔さもまた最高でした!
DEATH NOTE 12 (12) 大場 つぐみ 小畑 健 集英社 2006-07-04 売り上げランキング : 2 おすすめ平均 Amazonで詳しく見る by G-Tools |